「何屋かわからない」飲食店は避けよう

料理には「ジャンル」というものがあります。それらの「ジャンル」は、この地球上のさまざまなところで発達した私たち「人類」の多様性でもあります。この「地球」という星は実にさまざまな気候を私たちに与えています。そして、私たちは生存可能な地域を地球上のあらゆる場所にまで広げています。私たちは地球上のさまざまな場所でさまざまな暮らしを送っているのです。

やがて文明が発達すると、私たちは自分が住んでいる場所「以外」の土地にもさまざまな人々が暮らしていることに気が付きました。そこにはその地域に根ざした独特の文化があり、「生活」があったのです。そしてその「生活」のなかでももっとも特徴をあらわすのが「食事」というわけでした。「食事」はその土地の文化のすべてが詰まっているといっても過言ではありません。私たちは「食」を通じてその地方の暮らしを垣間見ることができたのです。

世界中で交易が発達し、「異国」といわれる地域同士の交流が進むと同時に、私たちは実にさまざまな「料理」を目にすることになりました。さまざまな土地で、その土地で入手できる材料を元にして、多種多様な料理が作られていたのです。それはまさに「文化」を形容し、その土地の風土を伝えるチカラをもっていました。私たちが「自分の土地以外の料理」を目の当たりにした瞬間から、「料理」にジャンルが生まれたといっても過言ではありません。「何料理なのか」ということは、どの文化を中心においた料理なのかということです。「料理」とはそれほどまでに「軸」をもった、無形の文化財として独自に発展していたものだからです。

それは今日の飲食店においても息づいています。私たちは時に「中華料理が食べたい」など、無性に特定のジャンルの料理を口にしたくなるものです。そのような際、「本格的な料理」は日本の家庭では難しいものなのです。ですから、私たちは「専門店」に足を運ぶことがあります。「その料理を食べるために」、「そのお店に行く」ということです。この時、足を運ぶ飲食店は「間違いなくその料理を食べさせてくれる店」ということになります。

数多く存在する飲食店の中には、この「特定の料理への需要」を見越して、そして勘違いして「何のジャンルか分からない」という店が存在します。私たち利用者の目から、「何屋」なのかがわからないということです。特定の地域、特定のジャンルの料理には、その「道」というものがあります。他の地域、他のジャンルでは計り知れない「料理の常識」を備えていることが多いのです。そのようなことを無視して、あらゆるジャンルに手を出した飲食店は、結果として「家庭で自炊するよりもひどい」料理が出来上がっている場合もあります。そそのような店には、通いたくないものです。

結果として「料理を提供する」ということは、「何屋なのか」ということが一目でわかる必要があります。パッと看板を見て「何の店かわからない」という場合、そのような店はあまり美味しくないかもしれません。試しに入ってみてもいいのですが、値段の割に損をするということにも繋がりません。料理は食べてみて初めて価値がわかるものだけに、入ってからの「後悔」はなんともいえないものなのです。

 

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