「飲食」は私たちが生きる上で欠かせない「行為」です。私たちが生物として活動を続けるためには、栄養を何らかの手段で摂取する必要があるのです。そのためにもっとも一般的な手段が「食べる」ということです。私たちは生きている限り「食べる」ということをやめるわけにはいかないのです。

私たち人間以外の動物も同様です。動物はすべて活動のためのエネルギーを体外のものに頼るしかありません。そのために「口」があり、食べたものを消化する「胃」があり、さらにそれを吸収するための器官を備えているのです。食べたものを消化し、活動のために必要な栄養素を吸収することで、私たち人間を含む動物は「生きている」のです。そして、生きている以上、私たちは食べることをやめるわけにはいかないのです。

私たち人間と、それ以外の動物とでは、「食べる」ということに費やす「時間」が違います。人間以外の動物はその生涯の時間の多くを「食べる」ために費やすのです。自分が食べることができる「エサ」を探し活動し、そして食べられるものを見つけ次第捕食し、それ以降の活動の糧とするのです。エサがなければ食べることが出来ず、「飢える」ことになります。飢えれば活動に必要な栄養素は足りなくなり、やがて活動できなくなるのです。ですから、動物は食べるために必死です。それは「生きる」ためだからです。

ですが私たちは社会的システムとして「食」を維持することができています。私たちは「食べる」こと以外にもさまざまな活動をしています。私たちの暮らしの中で「食」に費やす時間は一日の中でもせいぜい「3時間」くらいです。その3時間のために、私たちは「狩り」をすることはありません。社会的に潤沢な食べ物が誰のもとにも行き渡るような仕組みが出来上がっているからです。もちろん、それらの食べ物を供給するためには、それを専門とした「仕事」があります。それに従事する人は、あるいは四六時中「食」に関わっているということになるでしょう。

その「食」に関わる仕事の典型が「飲食店」です。仕事として、私たちに「食事」を提供する方々がいるのです。私たちはそれらの飲食店では「対価」を支払って「食事」をすることになります。私たちにとって「食事」は「ただ食べればいい」というわけにはいきません。私たち人間が独自に発達させた「感性」は「食」に対しても及び、「美食」という感覚が進化してきました。私たちは「食」を楽しむことを、ひとつの「文化」としてもっています。同じ人間でも、住む地域が違えば「食べるもの」が変わります。そして「食べ方」も変わります。私たちは野生の動物とは違って食べ物を「料理」するのです。「料理」とは食べ物に手を加え、さまざまな変化を加えることです。飲食店ではそれらのさまざまな料理を「プロ」の仕事として楽しむことができます。

私たちが生きるために必要で、さらに文化の違いと同様にさまざまな変化を遂げてきた「食」。いまではお金を支払えばさまざまな料理を楽しむことができるのです。私たちは生きるための「食」に対して「楽しむ」という要素を加え、独特の楽しみ方をすることができるのです。私たちたちの食事は、自然界において実に稀有なものなのです。